董卓のお召し

安定皇甫規妻者、不知何氏女也。規初喪室家、後更娶之。妻善屬文、能草書、時為規荅書記、衆人怪其工。及規卒時、妻年猶盛、而容色美。
董卓為相國、承其名、娉以軿輜百乗、馬二十匹、奴婢錢帛充路。妻乃輕服詣卓門、跪自陳請、辭甚酸愴。卓使傅奴侍者悉拔刀圍之而謂曰「孤之威教、欲令四海風靡、何有不行於一婦人乎!」妻知不免、乃立罵卓曰「君羌胡之種、毒害天下猶未足邪!妾之先人、清徳奕世。皇甫氏文武上才、為漢忠臣。君親非其趣使走吏乎?敢欲行非禮於爾君夫人邪!」卓乃引車庭中、以其頭縣軶、鞭撲交下。妻謂持杖者曰「何不重乎?速盡為惠。」遂死車下。後人圖畫、號曰「禮宗」云。
(『後漢書』列伝第七十四、列女伝、安定皇甫規妻)


後漢の皇甫規(皇甫嵩の叔父)の後妻は、夫の死後もまだ若く、相国董卓に目を付けられお迎えが来た。



しかし彼女は董卓の元へ行ったが拒絶。董卓は周囲の者に抜刀させて脅しをかけた。だが助からないと思った後妻は董卓を罵り、董卓は彼女を殺してしまった。




董卓にこういう話が残っていたのか。



皇甫嵩は息子が董卓と懇意だったというが、皇甫嵩の息子から話を聞いて後妻が董卓に目を付けられた、などという可能性もあったりしたかもしれない。知らんけど。