東冶

典略曰、(孫)輔恐(孫)權不能保守江東、因權出行東冶、乃遣人齎書呼曹公。行人以告、權乃還、偽若不知、與張昭共見輔、權謂輔曰「兄厭樂邪、何為呼他人?」輔云無是。權因投書與昭、昭示輔、輔慚無辭。乃悉斬輔親近、分其部曲、徒輔置東。
(『三国志』巻五十一、孫輔伝注引『典略』)

昨日の東冶の話だが、もし東冶に港があるとしたら、上記の話は「孫権曹操に勝てないと感じて東冶から海路での脱出を図っている」と孫輔が解釈したことから起こった事件ということになるのかもしれないなあ。




ただ孫権が遠出したというだけではなく、「逃げようとしている」と思われたからこそ曹操へチクろうとした、と。



もしかしたら、ね。