荒ぶる顔師古先生

師古曰「眭音息隨反。今河朔尚有此姓、音字皆然。而韋昭・應劭並云音桂、非也。今有荕姓、乃音桂耳。漢之炔欽又不作眭字、寧可混糅將為一族?又近代學者旁引荕氏譜以相附著。私譜之文出於閭巷、家自為説、事非經典、苟引先賢、妄相假託、無所取信、寧足據乎?蕃音皮。」
(『漢書』巻七十五、眭弘伝注)


昨日の記事で引用した『漢書』眭弘伝の注であの顔師古先生が荒ぶっていた。



「眭」は「スイ」と読むんだッツーの!今も河朔にはこの姓が残ってるけど同じ字と音を使っている。

韋昭や風俗通野郎は「ケイ」と読んでいるが、大間違いだね。


今、「荕」という姓があるが、これは「ケイ」と読んでいる。漢に「炔欽」ってヤツがいるがこれも「眭」の字は使っていない。どうして同じ一族にすることができるんだ?

最近のバカ学者どもは荕氏の家譜を引用してやがる。家譜の類は民間から出てきた信用ならない文書で、家ごとに勝手なことばかり書いているのに偉大な賢人の書物に引用して論拠にしようとするとか、バカジャネーノ?

当時の荕氏とか学者とかに対して盛大に喧嘩を売っている。

というか当時の家譜全体に対して喧嘩を売っているような気もする。




おそらく、当時の荕氏の家譜では眭弘と炔欽は同族で、自分たちの先祖であるということになっていたのだろう。

それが顔師古先生的には稚拙な誤りであったために逆鱗に触れたのではなかろうか。