漢の漢たちを語る4「公孫病已を探して」:眭弘

前漢の昭帝の時代のこと。


かの泰山において、数千人の人間の声と共に大きな石が自ら立ち上がるという事件が起こった。

また、昌邑国では祠の枯れた木がまた芽吹き、上林苑でも枯れた柳がまた復活し、その葉には「公孫病已立」と読める虫食いの跡があるのが発見された。



この不可解な事件は現代でさえ何かの予兆、異変ではないかと言われそうだが、当時はもちろんそう思う者が少なくなかったことだろう。



魯の儒者の眭弘、字は孟もまたその事件に強い関心を持っていた。





彼は春秋を学んでおり、そこからこの件についてある結論を出した。



(眭)孟推春秋之意、以為「石・柳皆陰類、下民之象、泰山者岱宗之嶽、王者易姓告代之處。今大石自立、僵柳復起、非人力所為、此當有從匹夫為天子者。枯社木復生、故廢之家公孫氏當復興者也。」孟意亦不知其所在、即説曰「先師董仲舒有言、雖有繼體守文之君、不害聖人之受命。漢家堯後、有傳國之運。漢帝宜誰差天下、求索賢人、襢以帝位、而退自封百里、如殷・周二王後、以承順天命。」孟使友人内官長賜上此書。
時、昭帝幼、大將軍霍光秉政、惡之、下其書廷尉。奏賜・孟妄設祅言惑衆、大逆不道、皆伏誅。
(『漢書』巻七十五、眭弘伝)


「石や柳とは下々の者を表わす。泰山は天子の姓が変わったことを天に告げる場所である。

 大きな石が自立するというのは人間の力を超えた所業であるから、これは只の一般人が天子になるという予兆にちがいない。

 枯れた木が蘇り、『公孫病已立』というメッセージが記されていたということは、以前廃された公孫氏という家が復興し天子となるということなのだろう」



恐ろしい事に、彼は漢の劉氏の時代は終わりを告げ、公孫氏の時代がやってくるのだ、と解釈したのだ。



しかも、そのことを大真面目に天子に上奏し、皇帝が自ら次の天子を探し出して退位すべきである!と進言したのである。




まあ、ただでさえそんな上奏はエライことになりそうだが、この時代はこの手の事に特に敏感な時期だった。


武帝が死んで幼い昭帝を大将軍霍光が輔佐していた時代。
皇帝に対する謀反も起こったばかりである。

皇帝の鼎の軽重が問われていた真っ最中であったといえよう。
しかも後継ぎにも恵まれていなかった。


もし万が一この言説が輿論の支持を得てしまったら大変なことになってしまう。



ということで、眭弘は処刑されてしまった。




この時代、皇帝に「あんた退位しなはれ」と一臣下が上奏するというとんでもない事が実際に起こったのである。


儒者は「孔子こと孔丘先生は一般人だけど天子になるべきだった」と考えている連中なので、彼は儒者の思想の根本をそのまま包み隠さず皇帝に対し開陳してしまったということだろう。

当時の儒者としては、「漢の皇帝もいつかは次の皇帝に譲位すべきである」という考えを隠し続けることはできなかったのだろう。


眭弘は犠牲になったのだ。





なお、その後昭帝が死ぬと紆余曲折の後に廃された皇太子の孫劉病已が皇帝になったということはよく知られているだろう。


面白い事に、彼が即位すると眭弘の子には官位が贈られた。
劉病已(宣帝)にとって眭弘は自分の存在を預言してくれた人物、という扱いだったのだろう。


眭弘は惜しかった。劉病已のことを知っていたら完全正解にたどり着いたかもしれない・・・とも言える。