隠される夏侯氏

傳至曾孫(夏侯)頗、尚平陽公主、坐與父御婢姧、自殺、國除。
初嬰為滕令奉車、故號滕公。及曾孫頗尚主、主隨外家姓、號孫公主、故滕公子孫更為孫氏。
(『漢書』巻四十一、夏侯嬰伝)

あの夏侯嬰の孫は公主(皇帝の娘)と結婚したが、その公主は自身の母方の姓から「孫公主」と呼ばれていたそうだ。


そして、その公主と縁組した夏侯氏も「孫氏」を名乗るようになった、のだという。




公主の生んだ子なら血統的に無関係ではないとはいえ、いくら公主とはいえ外戚のそのまた外戚にあたる家の姓を自分の姓として採用した、という事になる。




この夏侯氏は官名から「滕公」と呼ばれ、『史記』『漢書』でも大抵「滕公」と表記されていた初代といい、自身のそれまでの姓を捨てて外家の外家の姓に乗り換えた子孫といい、何か夏侯氏と呼ばれたくなかった、夏侯という姓を隠したい、というような事情でもあったのだろうか?