昨日の補足的なもの。
長樂宮成、丞相已下徙治長安。
【注】
索隠、按、漢儀注高祖六年、更名咸陽曰長安。三輔舊事扶風渭城、本咸陽地、高帝為新城、七年屬長安也。
(『史記』巻八、高祖本紀)
秦の都であった咸陽は、漢王劉邦によって三輔が占領されたのちに「新城」と改称されたが、皇帝に即位した後に長安所属となった。
それについて『漢儀注』では咸陽が長安になったかのように書かれているが、これは「咸陽と呼ばれていた城は長安県の一部となり、元々の長安と共に「長安」と呼ばれるようになった」ことを述べているのだと思われる。
例えば、泉市が仙台市に合併されて仙台市泉区になって以降は、泉区のことも「仙台市」と呼ぶようになったようなものである。