2012-11-16 その後の咸陽 中国史 前漢 東取咸陽、更名曰新城。 (『史記』巻五十四、曹相国世家) 渭城。故咸陽、高帝元年更名新城、七年罷、屬長安。武帝元鼎三年更名渭城。有蘭池宮。莽曰京城。 (『漢書』巻二十八上、地理志上、右扶風) 秦の都であった咸陽は、漢の高祖元年(漢王になったばかり)に漢王たちによって征服されて「新城」と改名され、高祖が皇帝になってからは独立した県としては扱われなくなった。しかしその後武帝の時に渭城県と改名した、ということらしい。 咸陽の栄枯盛衰だな。