その後の咸陽

東取咸陽、更名曰新城。
(『史記』巻五十四、曹相国世家)

渭城。故咸陽、高帝元年更名新城、七年罷、屬長安武帝元鼎三年更名渭城。有蘭池宮。莽曰京城
(『漢書』巻二十八上、地理志上、右扶風)

秦の都であった咸陽は、漢の高祖元年(漢王になったばかり)に漢王たちによって征服されて「新城」と改名され、高祖が皇帝になってからは独立した県としては扱われなくなった。

しかしその後武帝の時に渭城県と改名した、ということらしい。



咸陽の栄枯盛衰だな。