昨日の続き。
後漢の明帝は顕宗という廟号を贈られた。
章帝は粛宗。
和帝は穆宗。
安帝は前回の記事にあるように恭宗と呼ばれるようになった。
順帝は敬宗。
桓帝は威宗。
靈帝崩、獻帝即位。初平中、相國董卓・左中郎將蔡邕等以和帝以下功徳無殊而有過差、不應為宗、及餘非宗者追尊三后、皆奏毀之。
四時所祭、高廟一祖二宗、及近帝四、凡七帝。
(『続漢書』志第九、祭祀志下)
しかし、上記のとおり董卓・蔡邕らによって和帝以降の廟号は廃止され、世祖光武帝と顕宗明帝、粛宗章帝だけが廟号を持つこととなり、あとは直近の4人の皇帝廟と合わせて天子七廟とされたという。