恭宗

安帝以讒害大臣、廢太子、及崩、無上宗之奏。後以自建武以來無毀者、故遂常祭、因以其陵號稱恭宗。
(『続漢書』志第九、祭祀志下)


後漢の安帝は大臣ぶっ殺したり皇太子を廃したりしたということで、死後に廟号(太宗とか中宗とかいうやつ)を奉るという上奏がなされなかった。

しかし、その後になって後漢の皇帝はこれまでみんな廟号を贈られて廃止されない廟とされてきたので、結局安帝も「恭宗」という廟号を付けられることになった、という。



皇帝には廟号が付いて当然、という感覚が生まれたのは後漢らしい。




『続漢書』祭祀志の他の部分についてはまた後日のネタにしたい。