孫秀と痴話喧嘩

孫秀降晉、晉武帝厚存寵之、妻以姨妹蒯氏、室家甚篤。妻嘗妒、乃罵秀為「貉子」。秀大不平、遂不復入。蒯氏大自悔責、請救於帝。時大赦、羣臣咸見。既出、帝獨留秀、從容謂曰「天下曠蕩、蒯夫人可得從其例不?」秀免冠而謝、遂為夫婦如初。
(『世説新語』惑溺第三十五)


三国呉末期の宗室孫秀は皇帝孫晧に疑われて晋に出奔し、晋は彼に驃騎将軍などの高い地位を与えてやると共に、武帝の親族である蒯氏*1を妻にしてやった。

おそらく呉時代にも妻はいたんだろうがその妻を置いて晋に逃げたので独身状態だったのではなかろうか。


その妻とは相性が良かったらしいが、ある時その妻蒯氏は孫秀と夫婦喧嘩になって夫を「このムジナ野郎」と罵倒してしまった。

孫秀は怒って接触を拒み、彼女とセックスレスになった。


蒯氏は後悔して親戚である武帝にとりなしてもらうように頼んだ。
皇帝陛下というのもなかなか大変である。



その後、大赦があって群臣一同が会した際、武帝は孫秀を呼び止め、「天下は大赦によって皆が気分一新広い心でいるが、蒯氏の罪も大赦の内に入るではないかね?」と言ったので、孫秀はそれに従い蒯氏と仲直りしたという。めでたしめでたし。




ところで、この蒯氏について『世説新語』劉孝標注が面白い事を注釈していた。

晉陽秋曰「蒯氏、襄陽人。祖良、吏部尚書。父鈞、南陽太守」
(『世説新語』惑溺第三十五、劉孝標注)

あれ、これ劉表のとこにいた蒯良じゃね。
蒯良の最高官位は吏部尚書なんだろうか。


*1:「姨妹」には「妻の妹」という意味もあるが、ここでは「母の姉妹の子(従妹)」ではないかと思うのだがいかがだろうか。