『晋書』武帝紀を読んでみよう:その42

その41(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/11/14/000100)の続き。





六年春正月甲申朔、以比歳不登、免租貸宿負。
戊辰、以征南大將軍王渾為尚書左僕射、尚書褚䂮都督揚州諸軍事、楊濟都督荊州諸軍事。
三月、郡國六隕霜、傷桑麥。
夏四月、扶南等十國來獻、參離四千餘落内附。
郡國四旱、十大水、壞百姓廬舍。
秋七月、巴西地震
八月丙戌朔、日有蝕之。
減百姓緜絹三分之一。
龍見于京兆。
以鎮軍大將軍王濬為撫軍大將軍。
九月丙子、山陽公劉康薨。
冬十月、南安山崩、水出。
南陽郡獲両足獸。
龜茲・焉耆國遣子入侍。
十二月甲申、大閱于宣武觀、旬日而罷。
庚子、撫軍大將軍・襄陽侯王濬卒。
(『晋書』巻三、武帝紀)

太康6年。



またやけに災害が起こる年。



褚䂮はどうやら司馬昭時代の主簿(『晋書』王沈伝)で、今は尚書だというから、君主の側近を長く務めてきた人物らしい。



太子早卒、孫(劉)康立五十一年、晉太康六年薨。子瑾立四年、太康十年薨。子秋立二十年、永嘉中為胡賊所殺、國除。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)


山陽公劉康というのは、漢の献帝こと山陽公劉協の孫で、山陽公の2代目である。


劉協の本来の嫡子は劉協より早く亡くなったため、孫が継ぐ形になったようだ。