『三国志』には載らない人物(載ってる人もいる)

有問秀才「呉舊姓何如?」答曰:「呉府君聖王之老成、明時之俊乂。朱永長理物之至徳、清選之高望。嚴仲弼九皋之鳴鶴、空谷之白駒。顧彦先八音之琴瑟、五色之龍章。張威伯歳寒之茂松、幽夜之逸光。陸士衡・士龍鴻鵠之裴回、懸鼓之待槌。凡此諸君、以洪筆為鉏耒、以紙札為良田、以玄默為稼穡、以義理為豐年、以談論為英華、以忠恕為珍寶、著文章為錦繡、蘊五經為虵帛、坐謙虚為席薦、張義讓為帷幕、行仁義為室宇、修道徳為廣宅」
(『世説新語』賞誉第八)


ある秀才が「呉の旧姓ってどうよ?」って聞かれたとき、その秀才は上記のように答えた。




その秀才とは呉郡の蔡洪のことで、彼の文集には上記で挙げられている人物の詳細が載っている、と『世説新語』劉孝標注に書かれている。


劉孝標注の引用によれば、上記人物は以下の通り。



呉府君は下邳の人呉展、字士季。

呉で広州刺史、呉郡太守などになったという。
呉が滅びると下邳に引きこもった。



朱永長は呉郡の人朱誕、字永長。

呉で賢良に挙げられ、議郎になっていた。



厳仲弼は呉郡の人厳隠、字仲弼。
呉では宛陵令になっていた。



顧彦先は顧雍の孫の顧栄のこと。



張威伯は呉郡の人張暢、字威伯。



陸機・陸雲は有名だろう。




呉が滅んで間もない頃の呉の国士といったところか。

呉展以外は呉郡の人、いわゆる四姓から全員名前が挙がっている。