孔丘先生の敵

誅魯大夫亂政者少正卯
(『史記』巻四十七、孔子世家)

孔丘先生は魯の権力を握ると真っ先に少正卯なる人物を誅殺したという。

なにかよっぽど恨みのある相手だったのかもしれない。


聞人氏、少正卯、魯之聞人也、其後遂以聞人為氏、漢有太子舍人聞人通漢、沛人、治后氏 禮。
(応劭『風俗通』佚文)


意外にも、そんな孔丘先生にとって因縁の少正卯の子孫とされる一族が残っており、漢代では儒者となっている者もいたという。