孝廉になる代償

馬融爲南郡太守、二府以融在郡貪濁、受主計掾岐肅錢四十萬、融子彊又受吏白向錢六十萬、布三百匹、以肅爲孝廉、向爲主簿。
(『三輔決録』巻二)

三遷、桓帝時為南郡太守。先是融有事忤大將軍梁冀旨、冀諷有司奏融在郡貪濁、免官、髡徙朔方。自刺不殊、得赦還、復拜議郎、重在東觀著述、以病去官。
(『後漢書』列伝第五十上、馬融伝)


後漢儒学者として有名な馬融の醜聞。
馬融は部下の吏から金品を受けて孝廉や主簿にしてやったという。

この件は『後漢書』によれば大将軍梁冀が罷免に追い込むためのものであったらしいので、本当かどうかという問題も無いでもない。

ただ、当時の太守と部下の吏たちの関係について考える上で一つの資料になるのではないかと思うのでメモしておいた。