大人の階段登る

梁孝王子賈從朝、年幼、竇太后欲強冠婚之。上謂王曰、兒堪冠矣。王頓首謝曰、臣聞禮二十而冠、冠而字、字以表徳。自非顯才高行、安可強冠之哉。帝曰、兒堪冠矣。餘日帝又曰、兒堪室矣。王頓首曰、臣聞禮三十壮有室、兒年蒙悼、未有人父之端、安可強室之哉。帝曰、兒堪室矣。餘日賈朝至閫而遺其舄。帝曰、兒真幼矣。白太后未可冠婚之。
(『西京雑記』巻四)

漢の景帝の母、竇太后。ある時、彼女は孫に当たる劉賈*1を大人扱いして嫁を取らせようとした。
孫可愛がりが度を過ぎてしまったのだろう。


朝廷に竇太后に逆らえる者はいない。皇帝その人であっても。



皇帝(おそらく景帝)はその王に「成人式やって大人の仲間入りしてみない?」と彼にもちかける。

だが彼は「礼によれば成人式は20歳と決まってますし、私は才能も徳も無いから無理でございます」と丁重にお断りした。
皇帝は「いやその受け答えできるなら大丈夫やろ」と言った。


その後、皇帝はまた「結婚してみない?」とまた彼にもちかける。

だが彼は「礼によれば30歳で結婚すると決まってますし、私はまだ子供でおっきしないので結婚なんて無理でございます」と丁重にお断りした。


なおも彼を結婚させようとする皇帝だったが、その後、彼が門のところで履を脱いで忘れていってしまったのを見て、「いやーあいつまだ子供だなぁ」と思い直し、ビッグ・マム竇太后に対して「やっぱあいつ結婚させるのはまだ早いです」と答えたのだった。


まあたぶん履を忘れたというのはこの少年の策略だったってことなんだろう。


*1:同一人物と思われる人物について、『漢書』等は劉買と記している。『西京雑記』の伝写の際の誤りと思われる。