そんな餌に釣られクマー

廣陵王胥有勇力、常於別囿學格熊。後遂能空手搏之、莫不絶脰。後為獸所傷、陷腦而死。
(『西京雑記』巻三)


武帝の息子で腕力自慢の広陵王は、熊と格闘する技を磨き、ついには熊を素手で倒す技量を身につけたという。


しかし、このような野獣との格闘をその後も繰り返した彼は、ついには野獣に敗れ、頭をふっとばされて死んでしまった。


但し、『漢書』巻六十三の広陵王の列伝が記すところでは、彼が野獣を素手で倒す怪物であったことは同じだが、皇帝への呪詛がバレて取りつぶされるところで自殺したことになっており、ここに載っている内容とは死にざまが全く違っている。



彼の死が世間に伝わった時、自殺ではなく野獣との戦いに負けて死んだのだと噂されたのかもしれない。