楊王孫の本名

楊貴字王孫、京兆人也。生時厚自奉養。死卒臝葬于終南山。其子孫掘土鑿石深七尺而下屍上復蓋之以石。欲儉而反奢也。
(『西京雑記』巻三)


死者の埋葬を手厚くするのが礼であった前漢代に裸葬を主張した楊王孫という人物がいた。

彼は『漢書』にも独立した伝が立っているのだが、「楊王孫者、孝武時人也。學黄老之術、家業千金、厚自奉養生、亡所不致。」(『漢書』巻六十七、楊王孫伝)と、姓名について「楊王孫」としか伝わっていない。

西京雑記』によれば、彼は楊貴といい、王孫は字であったという。