うさぎとかめ

時獵法甚峻。宜陽典農劉龜竊於禁内射兔、其功曹張京詣校事言之。帝匿京名、收龜付獄。(高)柔表請告者名、帝大怒曰「劉龜當死、乃敢獵吾禁地。送龜廷尉、廷尉便當考掠、何復請告者主名、吾豈妄收龜邪?」柔曰「廷尉、天下之平也、安得以至尊喜怒而毀法乎?」重復為奏、辭指深切。帝意寤、乃下京名。即還訊、各當其罪。
(『三国志』巻二十四、高柔伝)


三国時代の高柔が廷尉だった時のこと。

当時の猟に関する法律は厳しく、禁猟地でうさぎ美味しいかの山をした劉龜なる人物は、その部下の張京なる人物に校事経由で密告されて捕まった。


それについて高柔が突っ込む。
「陛下、この事件の密告者の名前が伏せられておりますが?」

明帝が答える。
「お前何?廷尉のお前は俺の禁猟地で猟をしたヤツを取り調べて処刑すりゃいいんだよ。なんで密告者の名前を知ろうとするの?お前は俺がヤツを捕まえたのが間違いだとでも言いたいの?え?」

高柔が反論する。
「廷尉は天下の公平さの象徴です。陛下の感情で法を曲げるわけにはいきません」

そこで明帝は折れて密告者を公表し、高柔は取り調べをして劉龜も張京も罪に服した。




ここで分かることは3つ。


まず、当時の密告者は氏名公表が普通らしいこと。


また、校事経由の密告は皇帝だけが知りうる立場となり、廷尉も皇帝以外から知るすべはないこと。
おそらく、皇帝はこの密告者保護により高官の違法行為や汚職の取り締まりを強化しようとして校事を作ったのではないだろうか。


もう一つは、密告した張京も何らかの罪を負う立場だったこと。
部下が上司を密告することが罪だったのかもしれない。だとすれば高官の保身に部下は積極的に協力することとなってしまい、このままでは官僚の浄化は進まないことになる。



この件は、校事制度により官僚の腐敗や違法行為摘発を推進し官界浄化を進めようとする明帝と、それに反発する高柔の政治的綱引きという観点から見るべきなのかもしれない。