『漢書』韋玄成伝その7

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110613/1307892942の続き。

又告謝毀廟曰「往者大臣以為在昔帝王承祖宗之休典、取象於天地、天序五行、人親五屬、天子奉天、故率其意而尊其制。是以禘嘗之序、靡有過五。受命之君躬接于天、萬世不墮。繼烈以下、五廟而遷、上陳太祖、間歳而祫、其道應天、故福祿永終。太上皇非受命而屬盡、義則當遷。又以為孝莫大於嚴父、故父之所尊子不敢不承、父之所異子不敢同。禮、公子不得為母信、為後則於子祭、於孫止、尊祖嚴父之義也。寢日四上食、園廟間祠、皆可亡修。皇帝思慕悼懼、未敢盡從。惟念高皇帝聖徳茂盛、受命溥將、欽若稽古、承順天心、子孫本支、陳錫亡疆。誠以為遷廟合祭、久長之策、高皇帝之意、乃敢不聽?即以令日遷太上・孝惠廟、孝文太后・孝昭太后寢、將以昭祖宗之徳、順天人之序、定無窮之業。今皇帝未受茲福、乃有不能共職之疾。皇帝願復修承祀、臣衡等咸以為禮不得。如不合高皇帝・孝惠皇帝・孝文皇帝・孝武皇帝・孝昭皇帝・孝宣皇帝・太上皇・孝文太后・孝昭太后之意、罪盡在臣衡等、當受其咎。今皇帝尚未平、詔中朝臣具復毀廟之文。臣衡中朝臣咸復以為天子之祀義有所斷、禮有所承、違統背制、不可以奉先祖、皇天不祐、鬼神不饗。六藝所載、皆言不當、無所依縁、以作其文。事如失指、罪乃在臣衡、當深受其殃。皇帝宜厚蒙祉福、嘉氣日興、疾病平復、永保宗廟、與天亡極、羣生百神、有所歸息。」
諸廟皆同文。

また廃止された廟に対し謝する文でこう言った。
「先に大臣は天は五行、人の親族の区別は五属であることから天子の廟は五廟を超えないこととしました。天命を受けた君主の廟は永続させ、それ以外は五廟を超えたら廃止することします。太上皇は天命を受けておらず五廟を超えたので廃止されるべきです。礼に、傍系から宗家を継いだら生母を祭るのは孫の代までとしているのは、祖を尊ぶためなのです。よって、(孝文・孝昭太后の)日々のお供え物や陵墓の折々の祭祀は廃止すべきなのです。
皇帝陛下は先祖を思慕し畏敬の念を抱いており、すべてに従おうとはしていませんでした。しかし高祖の聖なる徳を思い、廟を廃止することこそ漢が永続する策だと思ったのですから、どうして従わずにいられましょうか?そこで吉日に太上皇・恵帝廟を廃止して位牌を遷し、孝文太后・孝昭太后の陵墓を廃止し、祖宗の徳を明らかにし天と人の秩序に従い、永遠の業績を定めようとしました。
しかしながら今皇帝陛下はその福を受けるどころか仕事に就けないほどの病に倒れております。そこで皇帝陛下は祭祀を復活させようと願いましたが、私どもが反対したのです。もし高祖・恵・文・武・昭・宣・太上皇・孝文太后・孝昭太后の意に合わないならば、その罪は我らのみにあり、我らのみが罰を受けるべきです。今も皇帝は病が癒えず、私や内朝の官に廃止された廟の復活を命じましたが、我らは天子の祭祀にはけじめをつけるべき点があり、礼には承るべきところがあり、それらに違反するのは決して先祖を敬い天や鬼神に仕えることにはならず、六経でも不可とされているのですと反対しました。もし高祖らの意に反するならば、罪は私どもにあり、罰を甘んじて受けるところです。皇帝陛下は福を受けて病が癒え、宗廟を長く保ち永遠に天とともにあるべきなのです。」
それぞれの廟はみなこのようであった。


丞相匡衡、今度は廃止されることとなった廟の主たちに向けて「陛下は悪くないYO!」と述べる。
元帝の病気はそれだけタイミングが悪い意味でバッチリだったのだろう。
「やっぱ代々の皇帝の霊がタタリを・・・」みたいなひそひそ話がそこかしこで聞かれたのではないだろうか。

肝心な元帝がビビっているので匡衡も必死である。