chouhien氏がツイッターにて呟いていた件。
これは気になる。
晋の武帝司馬炎の後を継いだ皇太子、恵帝。
その輔政である外戚楊駿。
人望の無かった楊駿は「魏明帝即位故事」に倣って封侯、恩賞を大々的に行って人々を喜ばせて支持を得ようとしたという。
さて、「魏明帝即位故事」とはなんなのか。
(黄初)七年夏五月、帝病篤、乃立為皇太子。丁巳、即皇帝位、大赦。尊皇太后曰太皇太后、皇后曰皇太后。諸臣封爵各有差。
(『三国志』巻三、明帝紀)
おそらく、魏の明帝即位直後に「諸臣封爵各有差」と群臣向けに封爵を行ったらしいことを指しているのではないかと思われる。
明帝が即位直後に群臣たちに恩典を与えたことは、楊駿が参考にするような先例であったということなのだろうか。
楊駿が人気取りのためそれをやろうとしたように、即位直後の明帝も特に人気取りをする必要のあった状況だったということかもしれない。