徙戎論その3

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110528/1306555175の続き。

逮至春秋之末、戰國方盛、楚吞蠻氏、晉翦陸渾、趙武胡服、開榆中之地、秦雄咸陽、滅義渠之等。始皇之并天下也、南兼百越、北走匈奴五嶺長城、戎卒億計。雖師役煩殷、寇賊膻暴、然一世之功、戎虜奔卻、當時中國無復四夷也。

春秋時代の末から戦国時代になると、楚は蛮を併呑し、晋は陸渾を討ち、趙の武霊王は胡服を採用して榆中の地を開拓し、秦は咸陽の主となり義渠などの連中を滅ぼしました。始皇帝が天下を統一すると、南は百越を従え、北は匈奴を退けて長城を作り、億にもなろうかという兵を動員しました。軍役が多く、また侵攻が横暴であったとはいえ、これもまた一世一代の大功であり、戎は退き、中国には四夷がいないという状態になりました。

注釈は特になしってことで。