胡亥セカンド

是時、匈奴彊、侵邊。天下初定、制度疏闊。諸侯王僭儗、地過古制、淮南・濟北王皆為逆誅。(賈)誼數上疏陳政事、多所欲匡建、其大略曰・・・(中略)・・・
夫三代之所以長久者、以其輔翼太子有此具也。及秦而不然。其俗固非貴辭讓也、所上者告訐也。固非貴禮義也、所上者刑罰也。使趙高傅胡亥而教之獄、所習者非斬劓人、則夷人之三族也。故胡亥今日即位而明日射人、忠諫者謂之誹謗、深計者謂之妖言、其視殺人若艾草菅然。豈惟胡亥之性惡哉?彼其所以道之者非其理故也。・・・
(『漢書』巻四十八、賈誼伝)

前漢文帝の時の賈誼は、文帝への献策の中でこう言っている。



「夏・殷・周三代が長く続いたのは、太子を助ける体制が整っていたからです。秦ではそうではなく、刑罰を尊んで人を処刑することにばかり慣れ親しんでいました。そこで二世皇帝胡亥は即位するや殺人を草でも刈るかのようにみなすようになったのです。これは胡亥がもともと快楽殺人者だったからではなく、それまでの教えが正しくなかったからなのです」




皇太子への教育の重要性を割と強い調子で説いている。






あれ?そういえば文帝の皇太子といえば・・・。

孝文時、呉太子入見、得侍皇太子飲博。呉太子師傅皆楚人、輕悍、又素驕、博爭道不恭、皇太子引博局提呉太子、殺之。
(『史記』巻一百六、呉王濞列伝)

人の命を草を刈るかのような軽い感じで奪っていた。賈誼が言うところの胡亥そのものではないか。





賈誼さんはこの事件を念頭に置いて、文帝に対して「今の皇太子はこのままでは胡亥二世になってしまう」という極めて切実かつ直接的な問題提起として皇太子教育の重要性を説いたんじゃないかなあ・・・。