浮屠祠

(孫)綝遣將軍孫耽送亮之國、徙(全)尚於零陵、遷公主於豫章。綝意彌溢、侮慢民神、遂燒大橋頭伍子胥、又壞浮屠祠斬道人
(『三国志』巻六十四、孫綝伝)


呉の孫綝は皇帝孫亮を廃位して孫休を皇帝に立てると、慢心からか民間に祀られている神々を侮るようになったという。


彼は伍子胥廟を焼き、浮屠の祠を破壊し、道人を斬ったのだそうだ。

浮屠の祠とは西から伝来した仏教にまつわる宗教施設なのだろう。


これらがいっしょくたに「民神」とされているのが興味深い。