甄后崩後、帝欲立王貴人為皇后。太后更欲外求、帝恚語(令狐)景等『魏家前後立皇后、皆從所愛耳、太后必違我意、知我當往不也?』後卒待張皇后疏薄。
(『三国志』巻四、斉王芳紀、嘉平六年注引『魏書』)
魏の皇帝、斉王芳こと曹芳。
彼には皇后が三人いたらしい。
まず最初に皇后になったのは甄皇后。
明帝曹叡の母である文昭甄皇后の兄の孫娘に当たる。
だが彼女は早死にしたらしく、次に曹芳は王貴人を皇后に立てたかったらしいが、皇太后の意に添わなかったらしく、張皇后を立てたということのようだ。
この張皇后は曹操時代の名太守張既の孫に当たる。
張皇后は夏侯玄らが粛清された事件で一族が中心人物であったことから廃位された。
そこで曹芳が喜んで皇后に立てたのが寵姫王氏ということのようだ。