曹芳の側室

(孫)綝遣朱異潛襲(孫)壹。異至武昌、壹知其攻己、率部曲千餘口過將(滕)胤妻奔魏。魏以壹為車騎將軍・儀同三司、封呉侯、以故主芳貴人邢氏妻之。邢美色妒忌、下不堪命、遂共殺壹及邢氏。壹入魏黄初三年死。
(『三国志』巻五十一、孫奐伝)

呉の孫権の叔父孫静の子孫である孫壹は、あれやこれやの末に魏に亡命した。

魏は彼に車騎将軍などの高位を与えると共に、妻として「故主芳貴人邢氏」を与えたという。


「故主芳」とは魏の先代の皇帝で今は廃位された曹芳のことだ。
貴人といえば皇帝の妻妾の地位の一つ。

つまり孫壹は廃位された曹芳の側室を妻として与えられたことになる。


優遇といえば優遇なのかもしれないが、思うに曹芳が廃位された後、この貴人邢氏ら曹芳の後宮の女性たちは降嫁先もそうそう見つかるわけもなかっただろうから、その後宮の女性の再就職先斡旋という意味合いもあったのかもしれない。

最期は悲惨だったが。


【追記】
校勘に合わせて「黄初」を削除するのを忘れてました。