皇太后に物言い

魏略曰、景王將廢帝、遣郭芝入白太后太后與帝對坐。芝謂帝曰「大將軍欲廢陛下、立彭城王據。」帝乃起去。太后不悦。芝曰「太后有子不能教、今大將軍意已成、又勒兵于外以備非常、但當順旨、將復何言!」太后曰「我欲見大將軍、口有所説。」芝曰「何可見邪?但當速取璽綬。」太后意折、乃遣傍侍御取璽綬著坐側。芝出報景王、景王甚歡。
(『三国志』巻四、斉王芳紀、嘉平六年、注引『魏略』)


三国魏の皇帝、曹芳(斉王芳)が廃位される時、皇太后と皇帝(曹芳)に対して大将軍司馬師の意を伝えたのは郭芝という者であった。




「皇太后は子を教え導くことが出来ませんでした」など、なんだか国母というこの上ない尊貴な地位の皇太后に対してやけに辛辣である。





叔父(郭)立爲騎都尉、從父(郭)芝爲虎賁中郎將。
(『三国志』巻五、明元郭皇后伝)

たぶん、この郭芝は皇太后郭氏の従父である。



もちろん本来の地位としては皇太后の方が上であるが、郭芝は皇太后の尊属であるという血縁がこの時の物言いに影響しているのではなかろうか(司馬師の威光をバックにしつつ)。




見方を変えると、司馬師は皇太后の近親をすっかり取り込んでいて、皇太后ではなく自分の言う事を聞くように仕立て上げていたということでもある。