ザンネック

其秋、上酎祭宗廟、出便門、欲御樓船、(薛)廣徳當乘輿車、免冠頓首曰「宜從橋。」詔曰「大夫冠。」廣徳曰「陛下不聽臣、臣自刎、以血汚車輪、陛下不得入廟矣!」上不説。先敺光祿大夫張猛進曰「臣聞主聖臣直。乘船危、就橋安、聖主不乘危。御史大夫言可聽。」上曰「曉人不當如是邪!」乃從橋。
(『漢書』巻七十一、薛広徳伝)

前漢元帝の時の御史大夫薛広徳。儒者であると共に彼は直言の士であった。


ある時、元帝は宗廟での祭礼の後で船に乗ろうとした。
同行していた御史大夫薛広徳はそれを知ると元帝に諫言した。


「船ではなく橋をお使いください。聞き入れていただけないなら、私はこれより自ら首を刎ねて馬車を血で汚し、陛下が宗廟に入ることが出来なくして差し上げます!」

宗廟に立ち入るには汚れを払う必要があるのだろう。血で汚れていてはそもそも船に乗る以前に祭礼も終わらせられないことになるから船にも乗ることがないわけだ。
船は沈没する危険性と沈没した時の被害を考えると、当時の感覚では皇帝が乗るには危険な乗り物だったのだろう。


この諫言は張猛のとりなしもあって聞き入れられ、薛広徳も首を切らずに済んだ。
とはいえ「自ら首を刎ねた血を浴びせてでも阻止します」とは物凄い諫言である。
諫言というのはまさに命がけの行為なのだろう。