夫人の眉

又為婦畫眉、長安中傳張京兆眉憮。有司以奏(張)敞。上問之、對曰「臣聞閨房之内、夫婦之私、有過於畫眉者。」上愛其能、弗備責也。然終不得大位。
(『漢書』巻七十六、張敞伝)

前漢の名太守の一人、京兆尹張敞は夫人のために眉を描いてやったという。
長安の人々はそのことを噂し合った。
おそらく、これは当時の感覚ではかなり奇矯な行為だったのだろう(現代日本でも珍しい部類だとは思うが)。

その件はおそらく官僚としての風紀の問題か、あるいは統治する民に噂されていることが京兆尹としての資質の問題となったのか、とにかく弾劾されて当時の皇帝、宣帝の耳にも入ることとなった。


宣帝がそれについて尋ねると、彼は言った。

「夫婦生活の上では眉を描いてやる以上の破廉恥行為があると聞いております」

寝室ではみんなもっと変態行為やってるだろ、俺なんて大したことないだろ、ということだろう。



当時の社会風俗について、色々と類推してみたくなるエピソードである。