劉巴を殺そうとした人

零陵先賢傳曰、(劉)巴入交阯、更姓為張。與交阯太守士爕計議不合、乃由牂牁道去。益州郡所拘留、太守欲殺之。主簿曰「此非常人、不可殺也。」主簿請自送至州、見益州劉璋、璋父焉昔為巴父祥所舉孝廉、見巴驚喜、每大事輒以咨訪
(『三国志』巻三十九、劉巴伝注引『零陵先賢伝』)

然縣界豪彊憚和嚴法、説(劉)璋轉(董)和為巴東屬國都尉。吏民老弱相攜乞留和者數千人、璋聽留二年、還遷益州太守、其清約如前。與蠻夷從事、務推誠心、南土愛而信之。
先主定蜀、徴和為掌軍中郎將、與軍師將軍諸葛亮並署左將軍大司馬府事、獻可替否、共為歡交。
(『三国志』巻三十九、董和伝)

後漢末の劉巴劉備から逃げに逃げていたが、蜀の益州郡で太守に殺されそうになったという。
劉巴を殺そうとした益州郡太守とは董和のことだろうか。
正確な就任期間が分からないので確証はないが。