呉と海南島

陸凱字敬風、呉郡呉人、丞相遜族子也。黄武初為永興・諸暨長、所在有治迹、拜建武都尉、領兵。雖統軍眾、手不釋書。好太玄、論演其意、以筮輒驗。赤烏中、除儋耳太守、討朱崖、斬獲有功、遷為建武校尉。
(『三国志』巻六十一、陸凱伝)

昭帝始元五年、罷儋耳并珠崖。元帝初元三年又罷珠崖郡。・・・(中略)・・・赤烏五年、復置珠崖郡。・・・(中略)・・・平呉後、省珠崖入合浦。
(『晋書』巻二十、地理志下、交州)

交州の珠崖郡は今の海南島
ここは前漢武帝が儋耳・珠崖の二郡を置いたが、後に廃止されている。
前漢時代であっても、海南島を統治するのは難しかったようである。


しかし三国時代になり、呉は交州へ支配圏を拡大する中で儋耳太守を任命し、また珠崖郡も置いている。
どうやら、呉の時代には海南島に再度中国人の支配の手が伸びていたらしい。