配送停止

謝承書曰「 唐羌字伯游、辟公府、補臨武長。縣接交州、舊獻龍眼・荔支及生鮮、獻之驛馬晝夜傳送之、至有遭虎狼毒害、頓仆死亡不絶。道經臨武、羌乃上書諫曰『臣聞上不以滋味為徳、下不以貢膳為功、故天子食太牢為尊、不以果實為珍。伏見交阯七郡獻生龍眼等、鳥驚風發。南州土地、惡蟲猛獸不絶於路、至於觸犯死亡之害。死者不可復生、來者猶可救也。此二物升殿、未必延年益壽。』帝從之。章報、羌即弃官還家、不應徵召。著唐子三十餘篇。」
(『後漢書』紀第四、和帝紀、元興元年、注引謝承『後漢書』)

前漢からこの後漢和帝の頃まで、交州ではずっとリュウガンやライチといった果実を産地直送していたらしい。


猛獣もいる悪路を駅伝が昼夜兼行で運んだという。




とんでもない距離をとんでもないスピードで輸送する必要があったと思うが、ずっと続いていたらしい。




それまでは現地の太守たちが毎年皇帝へ送る物産されていたらしいので、これを怠るのは職務怠慢か中央への反抗になってしまうのだろう。どれだけ被害が出ようが止めるわけにはいかなかったハズだ。




当時の駅伝制度すごいとも思うし、なんと不合理なとも思う。