錫県は錫県じゃない:その2

鄖郷令。本錫縣、二漢舊縣、屬漢中、後屬魏興、魏・晉世為郡、後省。武帝太康五年、改為鄖郷。何志晉惠帝立、非也。
錫縣令。前漢長利縣、屬漢中、後漢省。晉武帝太康四年復立、屬魏興。五年、改長利為錫。
(『宋書』巻三十七、州郡志三、梁州刺史、魏興太守)

「錫県」の変遷は他にも複雑怪奇な事があった。




漢の「錫県」は魏では「錫郡」として独立したが、晋の時に「鄖郷県」に変わった。



一方、漢の「長利県」は後漢以降県としては廃止されていたが、晋の時に「長利県」が復活し、「錫県」が「鄖郷県」になったのと同じ時に「長利県」が「錫県」になった。




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なんだこれ・・・。



長利。有鄖關。
(『漢書』巻二十八上、地理志上、漢中郡)

なお前漢の「長利県」には「鄖関」があったという。



この「長利県」が「鄖郷県」になるのではなく、「錫県」が「鄖郷県」になり、「長利県」だったところが「錫県」になる・・・?




「錫県」は名前を入れ替えた事になる。




もっとも、おそらくは「長利県」は廃止されていた間は「錫県」の管轄下だったのだろうから、「長利県」は「錫県」であったとは言えるのかもしれない。とはいえ、わざわざ名前を入れ替えなくても・・・とは思う。





鍚県→→錫県→→→→→→→→→→→鄖郷県

長利県→錫県(の一部)→長利県→錫県



ということ?