カチカチ山

巴郡南郡蠻、本有五姓、巴氏・樊氏・瞫氏・相氏・鄭氏。皆出於武落鍾離山。
其山有赤黒二穴、巴氏之子生於赤穴、四姓之子皆生黒穴。未有君長、倶事鬼神、乃共擲劒於石穴、約能中者、奉以為君。巴氏子務相乃獨中之、眾皆歎。又令各乘土船、約能浮者、當以為君。餘姓悉沈、唯務相獨浮。因共立之、是為廩君。
乃乘土船、從夷水至鹽陽。鹽水有神女、謂廩君曰「此地廣大、魚鹽所出、願留共居」廩君不許。鹽神暮輒來取宿、旦即化為蟲、與諸蟲羣飛、掩蔽日光、天地晦冥。積十餘日、廩君伺其便、因射殺之、天乃開明。廩君於是君乎夷城、四姓皆臣之。
廩君死、魂魄世為白虎。巴氏以虎飲人血、遂以人祠焉。
(『後漢書』列伝巻七十六、南蛮伝)

巴郡南郡蛮とは、漢代頃にいた南蛮の一種であり、その名の通り巴郡、南郡あたりにいたようだ。


もちろん彼らにも建国神話はあった。
剣を石の穴に入れた奴が長になるということで部族内で争ったところ、巴氏の務相なる者がそれを成し遂げた。逆アーサー王である。
しかし、何かいちゃもんをつけた者がいたのだろう、今度は土で舟を作って浮かんでいられた者が長ということになった。土が水を吸ったら泥になるのだから、つまり泥舟である。
なんだかバラエティ番組の罰ゲームっぽくなってきたが、巴氏の務相はそれも成功させ、晴れて長となった。


その後、巴氏の務相改め廩君率いる後の巴郡南郡蛮は迷惑な神女に遭遇したりしたが、最終的には落ち着いてその地に住むこととなったのでした、というお話。



カチカチ山のタヌキも泥舟を作って沈まないでいられたら、ウサギはタヌキを長にしたのかもしれない。