徳行ロバ

呉書曰、初、(諸葛)瑾為大將軍、而弟亮為蜀丞相、二子恪・融皆典戎馬、督領將帥、族弟誕又顯名於魏、一門三方為冠蓋、天下榮之。謹才略雖不及弟、而徳行尤純。妻死不改娶、有所愛妾、生子不舉、其篤慎皆如此。
(『三国志』巻五十二、諸葛瑾伝注引『呉書』)

呉のロバは妻が亡くなっても再婚せず、妾が子を身ごもってもその子を育てずにいたという。





そのことを「篤慎」であると評されているわけだが、これは何が「篤慎」なのか。






「篤」すなわち誠意。



これは多分正妻とその一族(姻戚)に対するものだろう。


つまり正妻や姻戚を無碍にしない、ということだ。





「慎」すなわち慎重さ。



これは、最初の妻の子と後妻の子の争い、嫡子と庶子の争いといったものを庶子や後妻を作らないことで未然に防ぐということか。






こうして考えてみると、この時代に徳行で評判となる人物の判断は時に非人間的である。



まあ、諸葛瑾はロバなので非人間的なのは当然なのだが。