諸葛子瑜之驢

(諸葛)恪父瑾面長似驢、孫權大會羣臣、使人牽一驢入、長檢其面、題曰諸葛子瑜。恪跪曰「乞請筆益兩字」因聽與筆。恪續其下曰「之驢」舉坐歡笑、乃以驢賜恪。
(『三国志』諸葛恪伝)

この有名な話やhttp://d.hatena.ne.jp/T_S/20101221/1292859616で引用した諸葛恪の機知は、いずれも諸葛恪の活躍、頓知の類を知らしめるエピソードなのだろうが、どちらも孫権や太子孫登が諸葛瑾、諸葛恪を侮辱するエピソードだとも言える。


もちろん当時の意識ではロバに対してロバに似ていると公衆の面前で笑いものにしたり、「クソでも食ってろボケ」と言うのはそれほどひどい侮辱ではなかったのかもしれないが。



思えば、孫権が諸葛恪に対し「お前の父(諸葛瑾)と叔父(諸葛亮)はどっちが上か?」なんて聞くのもかなり意地が悪い。
ぶっちゃければ世間では諸葛亮が断然上と評価されているというのが実情だろうから、父が上だと言うのは真実を曲げたことになり、かといって叔父が上だと正直に言うのは父への不孝になるだろう。
どっちに答えても評判を落とすという、質問自体が罠だったのではなかろうか。



当時の呉では孫権や孫登にそういう仕打ちを受けるのは日常茶飯事だったのか、諸葛親子が集中砲火を浴びていたのか。どっちなのだろう。