当塗高とは

太史丞許芝條魏代漢見讖緯于魏王曰・・・(中略)・・・春秋漢含孳曰『漢以魏、魏以徴』春秋玉版讖曰『代赤者魏公子』春秋佐助期曰『漢以許昌失天下』故白馬令李雲上事曰『許昌氣見于當塗高、當塗高者當昌於許』當塗高者、魏也。象魏者、兩觀闕是也。當道而高大者魏。魏當代漢。今魏基昌于許、漢徴絶于許、乃今效見、如李雲之言、許昌相應也。・・・(後略)
(『三国志』文帝紀注引『献帝伝』)

魏王曹丕禅譲を受ける際の儀式の一部。
即位を渋っている(ということになっている)魏王に対し、「ほら、魏が漢の次の王朝となることはこんなに予言されているんですよ!」と示すというもの。
まあ茶番といえば茶番である。


その中で、いくつかの預言書(緯書)が引用されているわけだが、その中にはかの有名な「当塗高」もあった。
これは遅くとも新末には知られていた預言である。
「漢の次の王者」に関する預言としては最も有名なものだったかもしれない。
流布から二百年が経過していても、まだ漢が滅んでいないので、この預言はこれから成就されるべき「現役」の預言なのだ。
当然曹操や当時の群臣たちも知っていただろう。


そして、名目上は「魏」という国号は献帝曹操に授けたことになるが、実態は曹操の側が選んだことは誰が見ても明らかであろう。


ということは、曹操たちは「当塗高」の預言に合致させやすい国号を選んだという可能性が極めて高いだろう。

一言で言えば、この一連の流れは全て自作自演ということだ。


曹操政権は自ら「漢の次の王者」についての預言に合致するよう国号を選んでおいて、後から「ほら、有名な預言「当塗高」は魏のことですよ。預言されていた次の天子こそ貴方なのですよ」と周囲に言わせるようにしたのだろう。



曹操にとって、「魏」という国号自体が既に皇帝へ即位するための布石だったということである。