霊帝の母

(董太后)及竇太后崩、始與朝政、使帝賣官求貨、自納金錢、盈滿堂室。中平五年、以后兄子衛尉脩侯重為票騎將軍、領兵千餘人。初、后自養皇子協、數勸帝立為太子、而何皇后恨之、議未及定而帝崩。
(『後漢書』皇后紀下、孝仁董皇后)


後漢霊帝の生母、董氏。
後漢書』皇后紀によると、霊帝の悪名高い売官は董氏が霊帝にやらせたものだという。


また、既に長子の劉弁(少帝)を産んだ何皇后が立っている状況にも関わらず、董氏は霊帝に次子の劉協(献帝)を太子とするよう勧めていた。

通常、実母の言葉は皇帝といえど無視はできるものではない。
霊帝が皇太子を決められないでいたのは、この董氏の横槍によるところが大きかったのではなかろうか。


考えようによっては、この董氏は霊帝の足をかなり引っ張っているようにも思える。