魏公子桓

獻帝傳載禪代衆事曰、左中郎將李伏表魏王曰「昔先王初建魏國、在境外者聞之未審、皆以為拜王。武都李庶・姜合羈旅漢中、謂臣曰『必為魏公、未便王也。定天下者、魏公子桓、神之所命、當合符讖、以應天人之位』臣以合辭語鎮南將軍張魯、魯亦問合知書所出?合曰『孔子玉版也。天子暦數、雖百世可知』是後月餘、有亡人來、寫得冊文、卒如合辭。合長于内學、關右知名。魯雖有懷國之心、沈溺異道變化、不果寤合之言。後密與臣議策質、國人不協、或欲西通、魯即怒曰『寧為魏公奴、不為劉備上客也』言發惻痛、誠有由然。合先迎王師、往歲病亡於鄴。自臣在朝、每為所親宣説此意、時未有宜、弗敢顯言。殿下即位初年、禎祥衆瑞、日月而至、有命自天、昭然著見、然聖徳洞達、符表豫明、實乾坤挺慶、萬國作孚。臣每慶賀、欲言合驗、事君盡禮、人以為諂。況臣名行穢賤、入朝日淺、言為罪尤、自抑而已。今洪澤被四表、靈恩格天地、海内翕習、殊方歸服、兆應並集、以揚休命、始終允臧。臣不勝喜舞、謹具表通」・・・
(『三国志』文帝紀注引『献帝伝』)

昨日の前のところに載っている左中郎将李伏の言。


これによると李伏は張魯の元にいたらしい。
で、曹操が魏公になった時、張魯の元では当初は公ではなく王になったと伝わっていたそうだ。
しかし姜合という人物が「公だよ。だって『天下を定めるのは魏公子桓』って孔子の預言にあるんだもん」と言って反論し、後からその通りだと分かりました、って言っている。
「子桓」が魏王曹丕の字であることは三国志ッ子たちには言うまでもないだろう。


まあ要するにこれも昨日の話と同じで、本当の預言かどうかも怪しい「魏王こそ次の天子として約束された存在」ってアピールに他ならないわけだが。


ただ、張魯に身を寄せていた人物として李伏、李庶、姜合という人物の名が見えることや、魏公になったときに周辺では王になったと伝わったということ、張魯が「劉備の客分になるよりも曹操の奴隷の方がマシ」と言ったことなど、ちょっと面白いかもしれない。


張魯ゆかりの人間が禅譲革命で真っ先に禅譲を勧める役をしていることに何か意味を考えるのは穿ちすぎか。