蜀将裴生

其所生得、皆加營護、不令兵士干擾侵侮。將家屬來者、使就料視。若亡其妻子者、即給衣糧、厚加慰勞、發遣令還、或有感慕相攜而歸者。鄰境懷之、江夏功曹趙濯・弋陽備將裴生及夷王梅頤等、並帥支黨來附(陸)遜。遜傾財帛、周贍經恤。
(『三国志陸遜伝)

陸遜は捕虜に優しかったので敵将も進んで降伏してきた、という話。


「備将裴生」というのはつまり「劉備の将であるところの裴生という人物」であろう。
たぶんここにしか記録がない人物。夷陵の戦いにおける降伏者だろうか。