元反乱者

酒泉黄華・張掖張進等各執太守以叛。金城太守蘇則討進、斬之。華降。
【注】
華後為兗州刺史、見王淩傳。
(『三国志』文帝紀

曹操死亡直後、漢の延康元年のこと。
曹操の死によって動揺を生じたのか、西域の入口酒泉・張掖で反乱が起こった。
その首謀者の一人、黄華は降伏したが、注によるとどうやら彼はその後刺史にまでなったという。

三年春、呉賊塞涂水。淩欲因此發、大嚴諸軍、表求討賊。詔報不聽。淩陰謀滋甚、遣將軍楊弘以廢立事告兗州刺史黄華、華・弘連名以白太傅司馬宣王。
(『三国志』王淩伝)

王淩伝によれば確かに王淩が反乱を起こそうとしたときの兗州刺史は黄華という名前である。
このときは黄華の方が王淩から反乱をもちかけられる立場だったようだが、彼がそれを突っぱねて司馬懿にご注進したために反乱は失敗した。


同姓同名なだけという可能性もあるが、元反乱者が刺史に成り上がり、今度は反乱を潰す側になるというのは面白い話なので、同一人物だった方が楽しい。