左内史

逮建安初、關中始開。詔分馮翊西數縣為左内史郡、治高陵。以東數縣為本郡、治臨晉。
(『三国志』裴潜伝注引『魏略』)

及趙青龍者、殺左内史程休、(鄭)渾聞、遣壯士就梟其首。
(『三国志』鄭渾伝)


後漢末の建安年間、関中の左馮翊は東西に分割されて西側を左内史、東側を左馮翊としたという。

左馮翊は元々左内史と呼ばれていたので、名称が復活したことになる。