史通子

(司馬)遷既死後、其書稍出。宣帝時、遷外孫平通侯楊綠祖述其書、遂宣布焉。至王莽時、求封遷後、為史通子。
(『漢書司馬遷伝)

王莽は司馬遷の子孫を「史通子」にした。この封建諸侯の爵位の「子」。
つまり司馬遷の子孫を諸侯にしてやったのである。


普通、「後」つまり子孫といえば同姓の子孫を言う。
ということは司馬遷には家を継ぎ姓を継ぐ男子がおり、子孫が王莽の時代まで残っていたということだろうか。

もちろん、親族が家を継ぐという例もあるようなので、本当に司馬遷の直系子孫かどうかわからない。