審食其の危機

人或毀辟陽侯、惠帝大怒、下吏、欲誅之。太后慙、不可言。大臣多害辟陽侯行、欲遂誅之。
(『漢書』朱建伝)

前漢初期、恵帝の時。辟陽侯審食其は高祖劉邦たちと同郷の功臣で、ずっと呂后につき従っていた人物である。


ある者が恵帝に審食其のことを讒言した。どう讒言したのか不明だが、恵帝は激怒し、審食其はそれが原因で誅殺されそうになった。
呂后はお気に入りの審食其が殺されそうだというのに、「恥じて」言い出せなかったという。


さて、恵帝は何を言われて激怒したのか。
呂后はなぜお気に入りの忠臣の危機に「恥じる」必要があったのか。


呂后と審食其の関係について、歴史物語モノなんかではよくデキてる、不倫関係だ、なんて扱いをされがちになるのだが、恵帝を激怒させ審食其の命に関わるのに呂后が弁護を躊躇するというこの件については、確かに呂后との怪しい関係を指摘されたがための騒動というのが正解という気がしてならない。下衆のまんぐりというやつだろうか。

あ、ちなみにこの後審食其は恵帝のBL的な意味でのお稚児さんの口利きのお蔭で助かります。
なんだこの爛れた感じは・・・