『史記』項羽本紀を読んでみよう:その45

その44(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181005/1538665962)の続き。





太史公曰、吾聞之周生曰「舜目蓋重瞳子」、又聞項羽亦重瞳子。羽豈其苗裔邪?何興之暴也!夫秦失其政、陳渉首難、豪傑蠭起、相與並爭、不可勝數。然羽非有尺寸乗埶、起隴畝之中、三年遂將五諸侯滅秦、分裂天下、而封王侯、政由羽出、號為霸王、位雖不終、近古以來未嘗有也。及羽背關懷楚、放逐義帝而自立、怨王侯叛己、難矣。自矜功伐、奮其私智而不師古、謂霸王之業、欲以力征經營天下、五年卒亡其國、身死東城、尚不覺寤而不自責、過矣。乃引「天亡我、非用兵之罪也」、豈不謬哉!
(『史記』巻七、項羽本紀)


司馬遷によるまとめ。




項羽は古の聖天子「舜」と同じ「重瞳子」だったので、舜の末裔かも?だから急激に勃興したのかな?みたいな事が記される。




元々の領土も無く民間から出てほんの3年で諸侯を率いて秦を滅ぼし、天下を諸侯に分けて覇を唱えたのは古来無い事だった、と述べる。



まあ、秦を滅ぼしたのは項羽一人の力ではないが(もちろん劉邦だけで出来たわけでもない)。




しかし、その後については、関中に背を向けて楚を懐かしんで戻ってしまい、義帝を放逐しておいて諸侯が自分に反抗するのを恨むというのはどうなの?と疑問を呈し、古を模範とせずに自分の力と知恵に頼り切った結果5年で滅ぶ事になったにも関わらず、最後まで自分の過ちを理解しなかったのは大いに間違っている、と断じている。



「天が俺を滅ぼしたのだ、軍事で過誤があったわけじゃない」などと言っているが、間違っていないなどと言えようか!と、項羽の最後の言葉についてはかなり否定的で、司馬遷としては「お前自身に問題があったのに天のせいにしてるんじゃねーよ」という意見だったようだ。




大体、結果として兵糧に困り、本国のはずの楚の兵も敵に回って包囲されているという状況に軍事上の失敗が一切無いとは流石に思えないわけで、「天が俺を見放した」で済ませられるわけがない、と言ったところだろう。



司馬遷は天命の事を色々考えていたからこそ、自分のミスを天命のせいにしようとするように見える言動には厳しいのかもしれない。





というわけで、「『史記項羽本紀を読んでみよう」はここまで。



史記』高祖本紀との異同とか、いくつか記事にしていない部分もあるが、それはまたいつかどこかで。