宦官得志、無所憚畏、並起第宅、擬則宮室。帝常登永安侯臺、宦官恐其望見居處、乃使中大人尚但諫曰「天子不當登高、登高則百姓虚散。」自是不敢復升臺榭。
(『後漢書』列伝第六十八、張譲伝)
後漢末霊帝の頃、張譲・趙忠らの宦官たちは増長し、宮殿にも匹敵するような邸宅を作るまでになった。
あるとき、皇帝(霊帝)が高殿に登って洛陽を見渡そうとしたが、そうすると宦官たちの明らかに制限を超える分不相応な邸宅のことがバレてしまうため、他の宦官に「天子が高いところに登ってしまうと、(皇帝をじかに見てはいけない)民がちりぢりになってしまいます」と言わせて皇帝を思いとどまらせた。
昨日までの記事で書いたように宦官趙忠の屋敷は献帝の仮の宮殿に使われたが、やはりこれは趙忠が作っていたのが天子の宮殿にも匹敵するような大邸宅だったから、ということでいいらしい。