孫晧時代の流言

漢晉春秋曰、先是、呉有説讖著曰「呉之敗、兵起南裔、亡呉者公孫也。」(孫)晧聞之、文武職位至于卒伍有姓公孫者、皆徙於廣州、不令停江邊。及聞(郭)馬反、大懼曰「此天亡也。」
(『三国志』巻四十八、孫晧伝注引『漢晋春秋』)


三国時代というかもう魏も蜀も無い時代、呉の皇帝孫晧は「呉が滅ぶとすれば兵は南の末から起こるよ。呉を滅ぼすのは公孫だよ」という預言を信じ、大臣から兵卒に至るまで「公孫」姓の者を全て広州に強制移住させ、長江近辺からは放逐し近寄らせなかったという。


しかし孫晧政権最大最悪の反乱と言えるであろう郭馬の乱はその広州の方で起こったので、孫晧はたまげて「天我を滅ぼせり」的なことをつぶやいたという。




いやいや危険だと思ったならなんで一か所に集めるのよ、しかも南の端という預言の地に。

ま、これは始皇帝の時の「亡秦者胡也」いう預言の類の怪しげな話なんだろうけれど。

死亡説とか色々と怪しい流言が飛び交っていた形跡があるし。