太公望

(董)卓至西京、為太師、號曰尚父。
(『三国志董卓伝)

献帝を連れて長安へ遷都した董卓

彼は太師となり、「尚父」と称したという。


太師、「尚父」はいずれもかの有名釣り師、太公望呂尚の職・号である。
董卓は明らかに太公望を意識している。


直接的には周武王を補佐した太公望に、献帝を補佐する自分を重ね合わせようというイメージ戦略だろう。
王莽は周公旦に自分を重ね合わせたので、それを超える人物を探した可能性も有る。


あとこれは妄言の類だが、「姜氏」の太公望の号を羌族に支持される董卓が選んだということには、何らかの意味があったかもしれない。