世子と太子

又命晉王冕十有二旒、建天子旌旗、出警入蹕、乘金根車・六馬、備五時副車、置旄頭雲罕、樂舞八佾、設鐘虡宮縣。進王妃為王后、世子為太子、王子・王女・王孫、爵命之號如舊儀。
(『三国志元帝紀)

晋王となった翌年に司馬昭に与えられた恩典。

「王妃為王后、世子為太子」とある。
これはつまり今までは晋王の正妻は「王妃」と呼ばれていたものを「王后」と改称し、同じく晋王の後継者は「世子」と呼ばれていたものを「太子」と改称したということ。


これはどちらもランクアップである。

前漢では王の正妻は「王后」と呼んでいたが後漢では「王妃」だった。より格上であった前漢の王に倣ったのである。

また本来は王の後継者は「太子」であり、「世子」とは列侯など王未満の爵位についての呼称である。
晋王の後継者はここで初めて「太子」という王本来の呼称になったということになる。


つまり、晋王司馬昭はこのときまでは、王位を与えられてもより格下の呼称に甘んじていたということである。
所詮は呼び方の問題なので謙虚さを示すポーズにしか過ぎないのだろうが、ちょっと興味深い。