晋公の制度

昨日のhttp://d.hatena.ne.jp/T_S/20100514/1273764570について補足。

魏國置丞相已下群卿百寮、皆如漢初諸侯王之制。
(『三国志武帝紀、献帝の詔の一部)

曹操が魏公に封建される際、このような但し書きがついていた。
つまり、魏公の国の制度は、「漢初諸侯王」の制度に準じるというのだ。
これは以前も(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20090401/1238595337)記事にした。


それに対し、晋公司馬昭の場合、魏公とは別の制度であったことが伺える。

晉國置御史大夫・侍中・常侍・尚書・中領軍・衛將軍官。
(『晋書』文帝紀

これは晋王の正妻を王妃から王后にランクアップするのと同時であり、それまでは晋公・晋王の官僚制度には御史大夫等の官は存在しなかったのである。
つまり、魏公より一段劣る格式であったことになる。

前例を重視する古代中国のことだから、晋公の制度も魏公の前例を全面的に踏襲することも出来たはずだ。
だがこれをやらずに一段劣る格式に甘んじたということには、何らかの意味があるのだろう。

司馬昭が何度も何度も晋公封建を辞退したことと合わせて考えると、おそらくは謙虚さを示すポーズの一つだったのだろう。

と同時に、「自分は魏公曹操とは違うぞ」ということを示すポーズでもあったのかもしれない。
「魏公になりたいがために腹心を死においやり、最初から「漢初諸侯王」と同格の制度にした曹操」と、「晋公封建を何度も辞退し、周囲の声に押されてやむなく受けたが敢えて格下の制度に甘んじた司馬昭」という対比を演出したのではないか、ということである。