『晋書』文帝紀を読んでみよう:その22

その21(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/09/08/000100)の続き。





二年春二月甲辰、朐䏰縣獻靈龜、歸於相府。
夏四月、孫晧使紀陟來聘、且獻方物。
五月、天子命帝冕十有二旒、建天子旌旗、出警入蹕、乗金根車、駕六馬、備五時副車、置旄頭雲罕、樂舞八佾、設鍾虡宮懸、位在燕王上。進王妃為王后、世子為太子、王女王孫爵命之號皆如帝者之儀。諸禁網煩苛及法式不便於時者、帝皆奏除之。晉國置御史大夫・侍中・常侍・尚書・中領軍・衛將軍官。
秋八月辛卯、帝崩于露寢、時年五十五。
九月癸酉、葬崇陽陵、諡曰文王。
武帝受禪、追尊號曰文皇帝、廟稱太祖。
(『晋書』巻二、文帝紀

晋王司馬昭は事実上皇帝とほんの少ししか違わない地位となった。もう本当にあと一歩。




「位在燕王上」というのは、当時の燕王は皇帝(陳留王)の実父であったために王の中で特別扱いされていたが、司馬昭はそれよりも高い地位とされたという事である。




とか言ってたら司馬昭死亡。晋王の戦いはこれからだ!




「露寝」についてはこの記事を参照。